仏教の本質 哲学者「中村元」

http://www.youtube.com/watch?v=NWZtkxP3eGg

人間の体は王様の飾り立てた車のようにやがては朽ちてしまう
けれども人から人に伝えられる真の法はいつまでも輝く
人から人に真理が伝えられるわけでございましょう
それは永遠の価値を持っているという意味なんでしょう
本当の自己というのは どういうものか
誰でも 人間はどこかの場所で いつかの時点で 生まれてきたわけです
そして必ず両親があったわけですね
それから育ててくれる人があった
助けてくれる人があった
その助けてくれた人の数というのは無数でございます
人間だけじゃなくて山川草木まわりのものが何か関係を持っている
遠く考えますと宇宙の彼方から例えば太陽が光線を送ってくる
そうするとその太陽の恩恵も受けているわけです
宇宙にあるいかなるものも孤立したものではないという思想
宇宙とつながりがあるわけです
そのつながり方が めいめいみんな違うわけです
だから個々の自己は非常に微々たるものと考えるかも知れませんけど
実はその内には偉大なものを秘めているわけです
ですからその偉大なものを受けていることを自覚すれば
そこで自分の生きる道はどうかということが
おのずから明らかになって実現される
ということになるんじゃないかと思うんですが

近代の開始と共に宗教の権威は衰えまして国が力を持ってくる
国家形成において巧みであった民族が世界史のリーダーになったわけです
国が絶対的なものと思われましたけれども
今日になりますと国々を越えた一つの地球共同体というものをみんなが考えなきゃいけないところまできていると思うんです
何が起きても地球の上でどこで何が起きても
すぐそれが地球の上のあらゆる国々
さらにその国々の住民の生活にすぐ影響が及んでくるわけですね
以前には 支配者が非常に乱暴な野蛮な行為をしても また文明の回復ということが可能だったんです
つまりその力の及ばない範囲がありましたから そちらからまた優れた文明の伝統を取り入れまして生かせば良かった
ところがだんだん世界が一つになってきて 何か起きますと 今度は いっぺん破壊しれしまったらもうとりかえしがつかない この危険はあるわけです
世界が一つになる場合に 異質的なものに対する理解と寛容ということ これが絶対必要だと思います

仏教の教えというものは
この上に輝く日月のようなものである
太陽や月があらゆる人を照らすように
仏教の教える真理というものは
あらゆる人に明らかなものであり
あらゆる人を照らす というわけです
続けて釈尊はこういわれました
もしも自分が人々を導くのであるとか あるいは
この修行者の仲間が私を頼っているとか 思うならば
私が死ぬということは大変なことであろう
しかし私は自分がみんなを導くなんて思ったこともない
またみんなが自分を頼りにしているなどとも思わなかった
自分はただ人々のよるべき真理 真の生き方というものを明らかにしたそれだけなのだ
だからなにも自分が消えて亡くなったからといって嘆き悲しむな
およそこの世のもので いつまでも破れないで 存続し続けるものは何もない
いつかは破れ消えうせるものである その道理を私はお前たちに 今まで説いてきたではないか
ただ私はそこにある一貫した真理というもの それを説きあかしてきた
だからそれに頼れ
この変転 常ない世の中では まず自分に頼るべきである
自分に頼るとはどういうことであるか
自分はこの場合にどうすべきかということを
その場合 その場合に考えることでしょう
その場合 何を判断決定の基準にするのか
それは「人間としての道」「法」 インドの言葉で言うと「ダルマ」と呼ばれるものです
これを「法」と訳しますが
この人間の理法というもの これに頼ること
「自己に頼れ 法に頼れ」
これが釈尊の最後の教えでありました

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