http://www.youtube.com/watch?v=Av5_TqgR2uE
馬鹿げたことやってんだけど、馬鹿げたこと通して何か見えてくるものってあると思うんだよね。
自然と人間との関係がどうなっているんだろうか。これからどうあるべきか。
五万年前以来の旧石器時代後半になると、
その以前から姿を現した新人類が、大いに活躍する時代を迎えた。
新人類は、私たちの直接の祖先である。かれらの石器は次第に精巧さを加え、
また野獣の角や骨で投げ槍、矢じり、もり、釣り針などをつくった。
石や貝殻をつなぎ合わせた首飾りなどの装飾品も遺されている。
彼らは、死者を丁重に埋葬し、また生命の多産豊穣を祈り讃えて多くの母性神像を遺している。
洞穴内の秘所には、動物画を描いて、狩猟の豊かさを祈った。彼らはもはや単に受動的に生きているのではなく、
むしろ自然の世界の意味を問い、自分たちなりに、意味の世界を持つようになった。…p10
彼らにとって野獣の狩猟は、神聖な行為であった。
動物を殺すことは、その動物を、その魂の故郷に送り返してやることであった。
それを共同体で確認する方式が、儀式であり祭式である。
ここには、現実の現象を超えた、根源的な意味の世界が志向されている。
現象の世界は、根源の世界から生まれたとされるのであり、現象の世界は根源の世界から説明され、是認され、意味づけされるのである。
この根源の世界をさまざまに思い描くことを通じて、さまざまな神話が生まれ、また儀礼が発した。…p12
http://profile.musabi.ac.jp/pages/2009069.html
グレートジャーニーでは旅を織物に例えて続けてきた。
縦糸がミニ・エクスペディションつまり移動で、横糸が「自然と一体となって暮らす人々の中に入っていく」などのな寄り道だ。
縦糸と横糸があって初めて布ができる。この旅で織られた布とは何か。自分自身のモノの見方とか考え方に刺激を与えてくれる生き方、考え方であり、それによる新たな気づきだ。
「我々はどこから来たのか。我々は何者なのか。我々はどこへ行くのか。」という問いへの答えは簡単には出てこない。しかし旅は多くのヒントを与えてくれたことは確かだ。